まだフランスがフランスとして無かったころ、まだパリがパリとして無かったころ、パリジ一族がシテ島に定住したのは紀元前3世紀のころであった。パリの名の由来である。
シ一ザ一が率いるロ一マ人がこの地にやって来たのは紀元前52年のこと、ガリア=ロ一マ時代となって都市ルテシアが建設され1世紀にはパリとなる。
アッチラの軍勢からパリを守った聖女ジュヌビエ一ブ、セ一ヌ河をのぼってやって来るバイキングからパリを守ってフランス王となったユ一ド伯、パリを城壁で囲い守って最初のル一ブル宮を建造したフィリップオ一ギゥスト。
カペ一王朝に続くバロワ王朝の時代には英国人の手中になったパリを奪い戻すべく やって来たジャンヌダルク。 そしてフランス革命、コンコルド広場で処刑されたルイ16世とマリ一アントワネット。
ナポレオン1世による王党派の鎮圧と戴冠、凱旋門の建設等、...。後のパリコミュ一ヌ(1871年)と血の週間(5月)。20世紀初頭の二つの大戦とレジスタンス、...。シャルルドゴ一ルのパリ解放。
セ一ヌ河はつぶさに見続けてきたこのパリの物語を今日もパリを訪れる人々にささやき聞かせる。その歴史の後を今日に残すパリの街は我々をふと2000年のタイムカプセルに誘い込むだろう。